劉備が関羽と張飛のかたき討ちのために起こした夷陵(猇亭)の戦い
広大な長江に沿って作られた桟道は蜀の歴史だけではなく、長江の
素晴らしさ、壮大さを肌で感じることができます。
目次
夷陵(猇亭)の戦いとは
夷陵の戦い。中国では猇亭の戦いといいます。
関羽と張飛のかたき討ちとして有名な戦です。
219年、関羽が樊城攻略をした際、背後を孫権軍に襲われ
生け捕りにされ首を切られます。
また、221年、関羽のかたき討ちのための出兵が決まり、蜀漢は呉討伐一色となります。
関羽と義兄弟の張飛も義兄の仇をとるため、抜かりの内容戦の準備を始めます。
張飛は、呉との戦に間に合わせるため、部下である范彊(はんきょう)、張達(ちょうたつ)
に白装束をすぐに集めてこいと無理難題の要求をします。
范彊、張達はもう少し期限を延ばしてほしいと懇願しますが、
張飛は彼らに「もし期限に間に合わなければお前らを切る」といい
取り合いませんでした。
死を恐れた范彊、張達は張飛の寝首を搔き、呉に逃亡します。
これを知った劉備は、義弟である関羽、張飛の仇を取るため同年7月に出兵します。
諸葛亮孔明、趙雲はこの戦に反対したみたいです。しかし、劉備を止めることはできませんでした。
劉備は破竹の勢いで、呉の領土に侵攻していきます。
劉備は、異民族や、反呉の荊州軍閥も仲間に入れ、次々と呉の領地を占領していきます。
劉備の完全勝利と思われましたが、呉の大都督陸遜は、機が実るのをひたすら待ち、
222年ついに反撃を開始。
戦線を伸ばしすぎた劉備の陣営を瞬く間に焼き払うと、一斉攻撃をしかけ蜀漢軍を
壊滅させます。
劉備は趙雲の救援があり、やっとの思いで白帝城まで退却します。
この戦で蜀は多くの有能な武将を戦死させてしまいました。
この戦により劉備は完璧に荊州を失ったこととなります。
夷陵(猇亭)の戦いは、夷陵の地のみで行われたわけではなく、
三峡全域(白帝城~夷道)で行われたといわれています。
三国志演義でここ夷陵決戦地であったことから夷陵の戦いといわれています。
夷陵古戦場
夷陵古戦場がある場所は、湖北省宜昌市にあります。
傅彤(ふとう)の像です。
傅彤とは
傅彤は、蜀漢の武将で、夷陵の戦いで戦死したうちの一人です。
傅彤は、槍の使い手であり、撤退する蜀漢軍の殿を務めました。
その際、呉から降伏勧告をされますが、「漢の武将が呉の狗に降伏できるわけないだろ!!」
と、これを却下します。
この逸話が後世まで伝えられ、夷陵古戦場に像まで立てられるようになりました。
夷陵桟道
桟道へ向かう途中に、このような美しい庭園がありました。
2枚目の写真の旗があるところから降りてきました。
いよいよ桟道です。
桟道は長江に沿って作られています。
足を滑らせたら落ちてしまいそうですね。
自然を生かした作りになっています。
頭上には十分に注意してください。
後出師の表
出師の表とは、臣下が出陣する際、君主に奉る文書です。
「出師」とは「軍隊を出します」という意味で、表は、上奏文を言います。
簡単に言うと、家臣が君主に「出陣しますのでよろしくお願いします!」
ってことですね。
出師の表はたくさんあるのですが、諸葛亮孔明が奏上した出師の表が著名であり、
特に誰が奏上したか記載がない場合は「出師の表=孔明が奏上したもの」となります。
前出師の表は227年、諸葛亮が北伐をする際に奏上したもの。
後出師の表は228年、再度北伐を行う際に奏上したものです。
烽火台
古戦場と書かれた牌坊(はいろう)を通ります。
烽火台は情報伝達の手段だったようですね。
遺恨洞
猇亭之戦遺址碑と記載が。勒石という人が書いたんでしょうか。
ただ、左の説明文には「関羽」の文字があったので関羽に関係した
ものなのでしょう。
張飛が使った太鼓
張飛が練兵の時に使った太鼓のようです。
太鼓自体は新しかったす。音もなります。
屯田洞
屯田洞です。僕が行ったときは立ち入り禁止となっていました。1年前です。
今はどうなのでしょうか。
調査中か、風化による落石でもあるのでしょう。
残念でした。
高台へ
先ほど通った烽火台。結構上りました。
ここまで約1時間近くかかりました。
この建物があるところが一番の高台です。
この建物は一体何なんなのかはわかりませんでしたが、5階からの展望は
とても素晴らしかったです。
5階からの展望。
長江は本当に広くて茶色いですね。。。
石碑
夷陵の戦いで戦死された将兵の石碑です。
三国志演義では蜀漢の軍勢は75万人とされてますが、実際蜀漢全体の兵士の数が
10万人くらいだと思うため、夷陵の戦いに参加した兵士は3.4万人程度でしょう。
しかし、この戦いで蜀漢軍は数万人が亡くなったということなので、参加した半分近くの兵士が犠牲になったと言えるでしょう。
三友園
劉備、関羽、張飛の桃園の近いです。
仇をとれなかった劉備のために建てたのでしょうか。。。
長江写真集
突然ですが、長江の写真を数枚紹介しますね。
日本にはないタイプの川ですね。。。
川の流れをみたときは、川に吸い込まれそうでした。
こちらの写真は夷陵古戦場から撮影した写真です。
おわりに
いかがだったでしょうか。
蜀漢vs呉の大規模な戦が行われた場所「夷陵古戦場」
歴史を感じるだけではなく、長江の雄大な姿も見ることができます。
歩道等はお世辞にも歩きやすいとは言えませんが戦いで荒れた土地だと思えば
逆にワクワクしてきます。
是非訪れてみてください!